とうとう決行したツーリング

2001年6月9日〜10日

1日目、2回目の休憩
木島と野沢温泉の別れ道あたりのLAWSONにて休憩。
お互いのチャリの乗り心地を確かめる。
 
同じくLAWSONにて
ここまではすごく順調で快調。
このあと、数時間後に体験する地獄をこの時はまだ知らない。
 

北竜湖への上り坂を見上げて「うへー!」という表情の2人。
 

ひたすら上り坂
頑張る小林 晃。
途中の仁王門で休憩。
北竜湖はまだまだ先。
 
仁王門から逆に
これまで登って来た坂道を撮る。
晃、顔は笑っているが、足はガクガク。
 
最後の坂を登り切った熊井しゅーぢの笑顔。
 
晃 もう少しだ!! がんばれ!!
でもちゃんとチャリに乗っている(押してない)エライ!!
 
あとは一気に下りだ。
2人の顔にもかなり疲労が見える。
 
北竜湖にて。
セルフタイマーのタイミングが難しく、オレだけやや前。
 
北竜湖にて。
 
野沢温泉入り口のソバ屋。
 
野沢グランドホテルのロビー。
お疲れの小林晃
 
夜の野沢温泉街。
 
翌朝元気よくホテル前を出発。
 

2日目一番景色の良かった所。戸狩のふもとあたり。
 

こういう農道が一番走りやすく、気持ちが良かった。
 
無事ウォンツ到着!!
空は今にも振り出しそうな曇り空。
このあと熊井しゅーぢは大雨にやられる。
お疲れさまでした。
 

写真のキャプションは、イラストレーターさんです。

 

 朝から天気はよかった・・・。2年越しの計画が実行されることに不安と期待が入り交じって、ドキドキした気分だったが、それは、家族にも一緒に出かける友人にもわからないように努力をしていた。
 あれはもう20年近くも前のことだが、高校を卒業した年に同級生二人と共に、200km以上の行程を自転車で1泊旅行に出かけた。須坂から長野市、鬼無里村、白馬村へと抜け、国道を北上し糸魚川へ、さらに能生まで行きテントで一泊。余りの疲れに朝まで寝ることすらできなかったので、まだ少し暗いうちから自転車にまたがって直江津、妙高高原、信濃町と辿ってやっとの思いで帰還した。帰還したはちょっとオーバーな表現のようだが、僕にとってはほんとうにつらい、でも今になれば楽しさこの上ない二日間だった。
 その気持ちをもう一度思い出す二日間が、20年を経てまた訪れたのだ。
 「もう一度、海まで行こう!!」
 最初はそんな話だった。「よっしゃ!! その話し乗った!!」と早速自転車を購入。しかし月日の流れは恐ろしかった。自分の中で描いていたあの頃のイメージは音をたてて崩れていった。
 二人の友人は自分達の不安を隠すように僕を励ましてくれた。「大したことはないさ。」「これからトレーニングすればすぐに取り戻せるよ。」
 しかし、不安は拭えなかった。「そうだ10kg減量しよう、そうすればあの頃と同じになれる。」そう思っても、季節は寒くそして暗い冬へと向かっていく。雪が降ればトレーニングも出来ないじゃないか。「やればできるさ。」自分の中のもう一人の自分がそんなことを言っていたような気もする。だけどやっぱり出来なかった。
 彼等にも確実に衰えは来ていたるはずであった。そして春がきた・・・・。
 その頃には、友人二人も発言が少なくなっていた。

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 僕は、なんだか毎日が忙しくなっていた。待望の第二子が誕生したり、地域の子供達が健全に育つよう力を振り絞らなくてはならない立場にも立たされていた。このまま、あの話は無かったことになるのだろうか・・・・。ちょっと残念な気持ちもあり、密かに胸を撫で下ろしてもいた。
 いつの間にか夏が過ぎ、また秋がやってきた。
 ふと、一年前は10kg減量作戦を決行していたことを思い出した。大枚をはたいて買った自転車はところどころ赤茶色の錆が出ていた。なんだかかわいそうに思えた。
 しかし、「あの峠を超えて海まで行くのは無理だ。」その気持ちは確信となっていた。
 沈黙の秋が過ぎ、そしてまた寒くて暗い冬がやってきていた。このままではいけない、どうにかしなくては・・・・。自転車も泣いているような気がした。
 「目的地をもうちょっと近くにしないか。野沢温泉でどうだ。」
 僕は二人にコケにされるのを覚悟して、そう切り出した。
 しかし、二人に異論は無かったようだった。
 友人の一人は小学校の教師をしていた。ちょうど卒業学年の担任をしていて、忙しい冬の終わりを迎えている時期でもあった。そして僕は青少年健全育成を推進していく役職の任期が終わろうとしていた。もう一人の友人は何度目かの失恋をしていた。ちょうどいいタイミングであったと思う。三人の気持ちはまた一気に盛り上がりを見せはじめていた。
 二度目の冬を終える頃、打ち合わせのために数年ぶりで三人が顔をあわせることになった。近くの鮨屋で小学校教師は飲めない酒を嬉しそうに飲んでいたし、ハートブレイクなイラストレーターも心無しか元気を取り戻していたようであった。

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  決行は6月9日に決まった。おそらく雨は降らないであろうという日。また、小学校教師は第二または第四土曜日でなければ休めない。そんな理由からであった。
 彼は僕の家の近くの小学校に転任し、一度だけ学校まで自転車で20km近い距離を試したようだ。そして、体育の授業などもあり、彼にはトレーニングのチャンスはいくらでもあるはずだ。イラストレーターの友人も東京で自宅と事務所を何度か往復して自信をつけていた。僕はと言えば相変わらず椅子に座りっぱなしの生活を送っていたから、かなりプレッシャーを感じていた。
 そしていよいよその朝が来た。天気は上々、子どもの頃の遠足の前日のように、少し興奮して寝不足だったのは僕だけではないはずだ。友人二人はマウンテンバイクで、僕だけツーリング自転車だ。集合は僕の家にした。目的地に一番近いという理由ももちろんあったが、それより二人は僕にハンディをくれたかったのだろうと思う。
 最初に先頭を走ったのは僕だった。これも僕のペースに合わせてやろうという二人の優しい気持ちであった。
 走ってみるとそれは快適だった。野沢温泉まで約50km、朝8時30分に家を出ていたから昼前には楽についてしまうペースだった。中野の中心街と飯山のちょうど中間まで休まずに走った。そして飯山市の木島地区についたのは午前10時。目的地を変更してこのまま海までいっちゃおうか、そんな気分だった。そこから先はしばらく緩い坂道で、「ちょっとへばったなぁ、昼飯は何を喰おうかなぁ」と考えているところで、分岐点があった。「どうしようか。」
 右に曲がると小菅神社がある。一気に登って北竜湖までいけば、あとは野沢温泉まではアップダウンはあるとしても大したことはない。右に曲がらなければゆっくりゆっくりと野沢温泉まで坂道を行くことになる。僕はそこで思い出した。「小菅神社のちょっと手前にいかした蕎麦屋があったはずだ。」ちょっと早いが昼飯はあの蕎麦屋がいい、そう思った。
 そうなるともう迷いは吹き飛んでいた。
 「曲がろう!!」
 曲がってみて少し驚いた。かなりの急坂である。しかし、その坂道は僕の記憶になかった。だから、どのくらいの距離があるのか、見当がついていなかった。
 「とにかく上まで行って蕎麦を喰おうよ」
 しかし・・・・・。
 その急坂は半端ではなかった。10mも走ると足が言うことを聞かなくなる。少し休んでまた挑戦。今度は9mでストップ。延々と・・・・・。そんな急な坂道に建つ家の庭に自転車が置いてあることに驚かされながら、結局僕はその坂の半分を自転車を押しながら歩くことになってしまった。
 蕎麦屋が見えるところまで行かないうちに、三人とも食欲を無くしていた。「気持ち悪くて、とても飯は喰えない」それほど体力を使い切ってしまったのだ。
 さらに北竜湖まで上り坂があった。僕には筋力の限界が来ていた。生まれてはじめて右足の太ももがつってしまったのだ。
 その峠の頂上でらしきところで休んだ。もう何回目の休憩だろう・・・・。「この曲り角が頂上だよ。絶対!!」イラストレーターは地図を見ながら教えてくれた。
 「ほんとうだろうか。」
 彼を疑っていたわけでは無いが、信じてしまった後で後悔するのはいやだったので、それは考えないことにした。重い腰をあげてもう一度自転車にまたがった。彼の言う通り下り坂が続いた。
 「もったいないなぁ、あんなに苦労して登って来たのに・・・。」
 目的地に近付いて来ているのになぜだかそう思ったのだった。
 しばらくして湖が見えて来た。それは、まぎれもなく北竜湖で、友人二人の顔も嬉しそうだった。
 そこからまたしばらく下り坂がつづいて大きな道に出た。もう目の前が野沢温泉の町であった。僕もうれしかった。20年前、白馬から糸魚川に出て、海が見えた時の嬉しかったことを思い出した。あのときは海が見えてから、能生までが長かったっけなぁ。でも今日は絶対そんなことはあり得なかった。宿泊は野沢グランドホテルだから、もう目と鼻の先なのだ。
 町に入ってすぐに蕎麦屋に入った。生ビールとざる蕎麦を注文した。最高だった。適度を超えた運動であったが、汗をかいた後のビールはやはりうまかった。
 不思議なもので、歩けないほど足がガクガクしているのに、ペダルを漕ぐのは比較的楽だった。

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 チェックインタイムまで、まだ1時間あったので、温泉街を散歩した。歩くのはつらかった。坂道にもなんだか敏感になっていた。「こっちにいけば坂だよ」「こっちの方がすこし緩そうだね」と言いながら歩く道を選んでいた。
 ビールが飲めるところを探して温泉街をうろうろしてしまった。やっとみつけたちょっとオシャレな喫茶店でビールを飲んだ。今日、明日とつつじまつりが開催されていることは、ここに来てはじめてわかった。子どもの頃来たことを思い出した。でも、山を歩いてつつじを見ることには誰も賛成しなかった。
 チェックインを済ませて露天風呂に入った。「風呂に入って、酒を飲む」それが目的で自転車に乗ってきたのだから、僕達は大満足だった。ただ、思いのほか、というか予想をしていたはずだが、かなり疲れていた。
 マッサージを頼むことを思い付いた。いい考えだった。
 早速フロントに問い合わせて、予約を入れてもらったが、「実は夏場はマッサージの先生はひとりしかいらっしゃらないのですが、その先生が結婚式に呼ばれているそうで、本日はできないそうです。」という返事だった。
 崩れそうなほどのショックを受けた。明日はどうなるのだろうか。今日ほどきつい道のりでは無いだろうが、筋肉痛を抱えたまま走るのはつらい。僕達はとにかく自分で足をマッサージすることにした。
 いつしか、眠ってしまったようだった。気がつくともう夕方で、夕食の時間が迫っていた。
 夕食をいただき、部屋に帰ると布団が敷かれていた。誰も何も言わずに布団に入ってしまった。電気も消した。まだ7時なのに・・・。イラストレーターはふくらはぎや太ももをマッサージしていた。
 僕は「シップ薬でも貼ろうか。薬局あったよねぇ。」と提案した。これもいい考えだだった。もう一度温泉街に出て薬局を探した。途中でラーメンを食べて旅館に戻り、みんなでシップ薬を貼った。きっと部屋中シップ薬のにおいが充満していたと思う。

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 次の朝、気持ちと天気は晴れていたが、やはり疲れは残っていた。ただ、筋肉痛になっていなかったのは幸いであった。
 「筋肉痛になるのは明日かもしれないね」
 翌々日になって筋肉痛がでてくるのを三人とも経験していた。とにかく、その時足が痛くないのはラッキーだった。
 野沢グランドホテルの方に見送られ、温泉街を出た。坪山地区まで一気に下った。「もったいない。」その時もそう思った。帰りはなるべく来る時と同じ道は走らない。前の日に三人で決めたことだった。距離感がつかめてしまうのはなんだか嫌だった。違う道なら「あとどのくらい」は、地図の上か車で走っている時の経験からしか判断できないので許すことができた。
 戸狩、飯山仏壇通りと順調に進んでいった。が、小布施の坂道は嫌だなあと思っていた。あの辺りは自転車でも2年前に走ってしまっていたからだ。
 その坂道も途中で昼飯の休憩をすることでクリアできた。昼飯はお寺のすぐ脇に建つ洒落た蕎麦屋だった。ここでもやっぱり生ビールとざる蕎麦を注文した。
 そこから、自宅まではひたすら漕ぎ続け、午後1時に出発地点に辿り着くことができた。
 小学校教師は、またここから20kmの道のりを自転車で帰らなければならなかった。今にも雨が振りそうな雲が立ちこめていたので、彼はすぐに自宅へと向かっていった。結局途中で豪雨に会い、びしょ濡れになったらしい。

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 この達成感はひさしぶりに味わうものだった。体力的にはつらい二日間。でもそれは最高に楽しい二日間だった。
 来年は諏訪湖に行こう!! とイラストレーターは言っていた。
 「別所温泉辺りでどうだ。」
 僕は今からそう提案するつもりでいる。
 
 僕達は体力的には下りのエスカレーターに乗っているようなものだと思う。放っておけば、どんどんと体力は落ちていくし、ちょっと運動をしてみても、現状を維持できればいい方だ。だから、常になんらかの形で身体を動かす努力をしなければならないのだ。
 そう思ってはいるのだが、やっぱりあれから僕は何もしていない・・・・・・。

 

 このレポートには少々のフィクションが含まれています。イラストレーターさん、ごめんなさい。