平成14年5月25・26日にまたまた自転車ツーリングを決行した。
 昨年あんなに大変だったのに、今年は新潟県は大潟町の鵜の浜温泉へ、80km超を往復するという無謀な計画をたててしまった。そのことを一瞬後悔する場面もあったが、やはり気の合う仲間と体を動かして遊ぶのは気持ちいい。......また来年もやるんだろうなぁ、きっと......。

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  海まで行くのはもともとの計画にあったことだった。しかし、いくらなんでも運動不足の僕には無理だろうということで、昨年は野沢温泉を目的地にした。それでも実際、行けてしまうと欲も出た。「今年こそは海まで行きたい」と最初に言い出したのは小学校教師だった。「ほんとかよ」僕はそう思った。確かに今振り返ってみると、野沢温泉の直前、あの急な坂の前までは順調だったし、「このまま海まで行ける!!」と思ったのも事実だ。でも不安が残る。20年前に海まで行って、へとへとになったことも思い出される。頭の中で地図を拡げてみた。ルートは2つ。妙高か飯山富倉峠を越えることになろう。小学校教師と相談の結果、富倉峠は標高700メートル足らずで、野沢温泉よりちょっと高いだけなので大丈夫だろうということになった。イラストレーターにはその結果を報告した。
 今年は昨年よりはトレーニングをしたつもりだ。あくまでも「昨年より」だけど・・・。川中島の小学校教師の家まで往復(40km)も走ってみた。結構きつかった。決行前1週間は町で飲む用事があれば歩いて行った。毎日なんらかの形で体を動かした。週末は天気もよさそうだ。

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 25日朝、我が家の隣の自転車店でタイヤの空気圧チェックとブレーキなど見てもらい、万全の状態で7時に出発。しばらくは昨年と同じルートを走った。最初の休憩地点も同じだった。その場所は昨年より遠く感じていた。「ヤバいな・・・。」密かにそう思っていた。飯山のコンビニでドリンク剤を飲み、峠越えに備えた。最初は緩やかな上り坂だ。  3月、目的地が決まってからゆっくりと車で峠を下見し、どんな坂道かはわかっていた。最初は緩やか、そのあと心臓破りの坂が待っている。しかし距離はさほどでもない。しかし今年は無理をしないつもりだった。最悪は女房に車で迎えを頼んでもいいと思っていたくらいだ。だから気は楽だ。「登坂車線」の文字をみたらすぐに歩いて自転車を押した。それでいいんだ。レースじゃないんだから反則もない。
 途中3度の休憩をして峠のてっぺんのトンネルを抜けた。今考えてみるとあっけなかった。峠自体は僕にとっては過酷だったが、2日間の中でトータルで考えるとそれほどでもなかったという意味だ。トンネルを抜けると下り坂が15km続いていた。これが気持ちよかった。あとにも先にも気持ちよかったのはここだけ。  新井市に入ってからしばらく国道を走り、板倉町役場の前で休憩。昼食をと思ったが食堂らしきものが見当たらない。アイスクリーム屋さんがあったので、休憩&相談&アイスクリームをした。僕とイラストレーターは「牛乳」、小学校教師は「イチゴシャーベット」。うまかった。イチゴシャーベットはほんとうにイチゴの味だった。昔よく食べたイチゴを潰して牛乳をかけた、あの味だった。「感動した!!」
 その後はほぼ平坦なたんぼ道を選んで走った。天気もいいし、ほんとうならとっても快適な道なはずだが、向い風が強い。平らな道とは思えない程、自転車は進まない。漕いでも漕いでも目的地にはなかなか着かない。それもそのはず、たんぼ道は距離にして約30km。峠を超えることができるかどうかが、一番の課題であったから、あの峠のてっぺんのトンネルを抜けた時点でもうすっかり気持ちは「これで8割は着いたも同然だ」と思っていたのだ。しかし、向い風の30kmはそれなりにきつく長かったのだ。
 それにしてもたんぼ道には昼飯を食べることができるようなものが何も無い。そろそろ腹も減って来た、燃料切れ間近だ。今度の国道との交差するところで何かあるだろう・・・、国道だもん。ということでその交差点まで向い風と戦った。その国道はわりに寂しいところだった。あるのは農協のスタンドと自動販売機だけだった。「うわっ」。いよいよこれは海に辿り着くまで何も食えないのかと思った。しかし、よく見るとひっそりと暖簾らしき物があった。「あそこにある!!」。もう選んでいる余裕はないと思った。その暖簾の前に行ってみると意外にりっぱな割烹という雰囲気だった。  とりあえず僕は生ビールを注文。いつものように小学校教師はお茶。イラストレーターは生ビールを2杯飲んだ。おつまみに付いていた「いかげそ」がうまかった。イラストレーターが2杯目のビールの時にも「いかげそ」を付けるように店の主人に要求したほどだ。カツ丼を食べ、腹がいっぱいになると横になりたくなった。身体はいつのまにかくたくたになっていた。もうこのまま動きたく無いという心境だった。地図を拡げてみると、目的地まであと8kmほどだ。ふだんの生活の中で8kmを自転車で走ることなどないのだから、この8kmだってたいへんな距離のはずだが、今日走って来た道のりを考えれば、あともう少しと言える。・・・・頑張ろう。
 ふたたび自転車にまたがると、尻が痛い。明日の帰りのことは考えないつもりだったが、心配になりはじめていた。平らなたんぼ道を向い風と戦いながら、やっとこさ海が見えるところまで到着。やはり長野県人は海が見えるとなぜか感動する。それも自転車で来たのだからなおさらだ。ここでもまた20年前の今回と同じ3人でのツーリングを思い出した。あの時の海が見えた時のことも忘れられない思い出になっている。  海沿いの、少しアップダウンのある道を2kmほど走って宿に到着。午後2時50分だった。

 その宿は、「グランドホテルみかく」。ここに決めた理由は、日本海に沈む夕日の見える屋上に貸切ジャグジーバスがあるからだった。夕日の時間にはまだまだだったが、早速3人で入浴。ここちよいお湯かげんの中で達成感を味わった。
 鵜の浜温泉を目的地に選んだ理由はいくつかあった。18才の時のツーリングでは、須坂から鬼無里、白馬、糸魚川、能生で宿泊、帰りは直江津、妙高、須坂と言うコースだったが、まさかその再現はいまの僕らには無理だ。だから適度な距離で海まで行くこと、そして温泉があることが条件となっていた。そうなると鵜の浜温泉しかないのだ。そこではきっとうまい海の幸で酒を酌み交わしながら思い出話に花が咲くはずだ。その期待通りの海の幸を堪能した。(写真の料理は最初に出たもの。このあと次々とあたたかい料理が部屋まで運ばれてくる)小学校教師があまり酒を飲まないことと、急激な運動による疲れで、酒はなかなかすすまなかった。それ以上に明日の帰り道の不安があったからかも知れない。マッサージを受けると10時頃には3人とも夢の中であった。
 宿に到着した時点では、昨年より疲労感も少なく、筋肉もまだ余裕があるような気がしていた。しかし、時間が経つにつれ腿の痛みがひどくなっていた。夜はもう普通に歩くこともできず、座ったり立ったりという動作が苦痛になっていた。このままでは明日はひどいことになる。他の二人にペースを合わすことはまず無理、二人が僕のペースに合わすのも彼等にとっては苦痛になるかも知れない。それより、自転車にまたがることさえできるかどうか・・・。そんな不安を抱えながら、こうなったらリタイヤしたほうがいいのではないかと考えていた。朝には女房に電話して、迎えに来てもらおうと・・・・。

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 朝になってみると、少し疲れがとれていた。昨夜のマッサージも効いているようで、腿の痛みもかなりやわらいでいた。行けるところまで行ってみよう。いよいよだめになったらそこでリタイヤすればいいのだ。たっぷりと朝飯を食べ、温泉に浸かって気持ちもリフレッシュさせて出発準備をした。昨日、天気が良くてイラストレーターはかなり日焼けをしていた。僕はいつもそれで悩まされているので、今回は日焼け止めクリームを塗った。この効果は抜群だった。イラストレーターにもクリームを塗ることを勧めたが、彼はその僕の好意をなぜか拒否していた。親切な宿の方々に見送りいただいて8時に出発。すぐに昨日撮り忘れた海と自転車をバックに写真を撮った。なんと言ってもこれが記念であり、行った証拠になるのだ。
 海沿いの道にはいきなり上り坂があった。今日のメインはなんといっても海抜0mから富倉峠を登ること。なのに、この標高差20mくらいの上り坂がきつい。脚もつらいが、心臓もバクバク。「大丈夫なんだろうか・・・。」  ここで結局昨日の疲れが蘇って来てしまった。向い風はなかったが、ほぼ平坦な30kmのたんぼ道はもうすでにつらい道のりになっていた。小学校教師もイラストレーターも「快適、気持ちいい」を連発していたが、僕は「きつい、つらい」を繰り返していた。最初の休憩地点は12kmほど走ったところという約束だったが、僕の要求で昨日昼飯を喰ったところにしてもらった。
 そのうち二人は僕より先に行き、後から来る僕を待つ。そして僕がそこで「休む」と言うかどうかでジュースを賭けるというゲームをすることになったようだ。
 去年は、行きと帰りは別の道を走るという余裕とも言える提案があったのだが、今回はだれもそれに賛成しなかった。最短で帰りたいと誰もが思っていた。結局またあのアイスクリーム屋さん「ヴァトゥレ」に寄った。少し前からそれを楽しみに走っていた。しかし、着いた時にき営業時間までまだ20分あった。店の中には人がいた。その人に見えるように僕は店の前に立った。気が付いてくれないかなぁ、そして「どうぞ、いいですよ。」と言ってくれないかなぁと思っていた。そして僕の期待通り、店を開けてくれた。「うーん、いい人だ。」もう一度あの感動に出会うことができた。
 新井に入ると少しづつ登っているのを感じていた。ちょっとした上り坂で女子中学生にも追いこされたが、恥ずかしい、屈辱的というより、僕は開き直っていた。苦しかったら歩けばいい、だめならリタイヤすればいいと。あとで思ったことだが、そういう開き直りは僕にとってプラスに働いていたようだ。富倉峠への道と妙高高原への分岐点にコンビニがあった。そこでまたドリンク剤を飲む。小学校教師とイラストレーターは僕よりかなりの余裕があるようだ。20年前もそうだったように、休憩後は僕が先に出発する。途中で追いこされるが、彼等は先で待っていてくれる。そこで休むかそのまま行くかは僕の判断、休憩したとしてもやはり僕が先に出発。そんな繰り返しをしながら峠を登って行く。昨日の飯山からの峠超えよりはるかに緩やかな上りだが、疲れを抱え、さらに距離も長いので歩く場面が多かった。途中、二人が休憩地点に選んだちょっとした店ではおばあちゃんが僕達に缶ジュースをくれた。「えっ、もらっていいんですか?」その好意がなんともうれしかった。その後も僕は素通りしたが、山菜売りの小屋で缶コーヒーをもらったらしい。
 昼食は予定通り富倉名物のそばを喰った。「生ビールとざるそば」これが僕達のツーリングの定番になっている。缶ジュースをもらった地点あたりから、レーシングスーツを着た自転車乗りと何人もすれ違っていた。やはりそういう「いかにも」という格好の人が蕎麦屋に入って来た。なんだろうと思っていたが、結局店の外で話を聞くことができた。直江津を朝7時に出発し、妙高を超えて長野のエムウェーブを折り返し、飯山からこの富倉峠を超えて直江津に帰るという。160kmの道のりだ早い人は6時間程で到着するそうだ。平均時速30kmだ。「すごい・・・。」僕達は過酷だと思っている一泊二日の距離をたった5時間で走破してしまうのだ。しかしその人は言っていた「自転車にはいろんな愉しみ方がありますから・・・」と。
 昼食を食べてから峠のてっぺんまではまだ3kmほど上り坂が残されていた。すれ違う大会出場者のみなさんに励まされながら、なんとかてっぺんのトンネルまで辿り着くことができた。ここまできたらもうリタイヤはできない。最後の小布施の上り坂もつらかった。結局午後4時、予定通り我が家に無事到着することができた。いつも僕が遅れて二人を追い掛けながら来たが、最後の子どもと女房が出迎える我が家周辺では、小学校教師もイラストレーターも僕の後を走ってくれる。そんな心遣いもうれしかった。

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 慣れない運動のあとは身体のケアは重要だ。ということで今回も到着後に須坂温泉に浸かり、足裏マッサージを受けに長野の「フットリフレ長野稲田店」に行った。ここでやさしい女性陣にこの二日間について自慢げに話しながら、膝から下をマッサージしてもらうのは格別だ。できればいちばん疲れている腿をお願いしたいところだが、残念ながらそれはメニューにない。それでもこれでリラックスでき、かなり疲れてはいてもちゃんと明日は歩くことができるようになる。

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 山中の村や宿のみなさんの人情に触れることができ、そしてなにより達成感を味わえたこのツーリングは、僕にとって過酷ではあるが楽しい思い出となった。海まで自転車で行くという当初の目的は達成した。しかしというべきか、やはりというべきか「次の目的地は?」という声がすでにあがっている。二人の友人は来年と言わずこの秋にでもとさえ言っている。確かに年に1度では体力維持をするには間隔が空き過ぎなのだが・・・・どうしようか。迷うところだ。(小林 晃)


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