週末は雨。そういう情報が入ったのは月曜日だった。「雨?」そんなの嫌だ。雨の中のツーリングは最悪だ。雨が降ったら中止して温泉だけ入りに行こうということになっていた。日を追う毎に天気予報は変わり降水確率も低くなっていった。1日目は曇りで2日目が雨というそんな雰囲気になってきた。とりあえず1日目は自転車で行こう、2日目はイラストレーターのお兄さんがトラックで迎えにきてくれるという話になった。このことが今回のツーリングの成功のポイントであった気がする。 ▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼ 今回は穂高が目的地なので、当然出発地点は我が家より南西の川中島にある小学校教師の家だ。 僕は小学校教師の家まで自転車を車に積んで行くつもりでいた。なぜかイラストレーターは16kmも先の出発地点まで自転車で行くと言う。まぁいいだろう・・・というか、「僕は無理はしないよ」という開き直りが昨年のツーリングから出来ていたので「絶対、車で行く」ということになった。 1日目の朝、雨が降っていれば目的地まで車で行くことになっていた。本音を言えばそれを少し期待していた。 というのも今回もまともにトレーニングはしていなかったからだ。近所の鎌田山を何回かウォーキングしただけで、自転車には一度も乗っていなかった。いつものように不安だったのだ。さらに本音を言えば「このツーリングを楽しみにしている」というのも少し無理があるというくらいなのだ。 しかし、とりあえず雨は降っていないので行くしかない。 8時に小学校教師の家まで車で行った。イラストレーターはすでに小学校教師とともに僕が来るのを待っていた。早速自転車に乗って出発だ。小学校教師を先頭に走り出した。 やはりトレーニング不足は良くない。最初の坂道で気持ち悪くなってしまった。「大丈夫だろうか・・・」、さらに不安が大きくなった。最初の休憩で地図を拡げ、コースの相談をした。 昨年の秋にイラストレーターと共に目的地を決めるため、車で穂高まで行っていた。距離的には昨年と同じくらいであったが観光地でもあり、5月にはきっと爽やかな風が吹いているだろうと想像していた。ただ、国道19号は大型車がビュンビュン走るので、狭い路肩を走る僕達にとっては気持ち良く走ることは難しいのではないかと思っていた。 2日目は天気が悪そうなので、トラックが迎えに来てくれるということであれば、遠回りでアップダウンもあり、最高地点が825mと高いが、白馬経由の方が良いのではないかという結論になった。 オリンピックのために作られた有料トンネルを抜け白馬へ向かう道を走った。自転車にとってトンネルはあまり気持ちのよいものではない。歩道が広くとってあればその歩道を走ることができるが、そうでなければ車道を行くしかない。路肩はガタガタだし、暗い道を後ろから車にあおられることになる。しかし、トンネルは大抵平たんであり、迂回するより距離が短いのだ。僕はなるべくトンネルを選ぶよう主張していた。平たんだと思っていたが最初のトンネルはずっと緩い上り坂だった。まあそれでも迂回するよりは楽なはずだと自分に言い聞かせていた。 次の休憩地点ではソフトクリームを食べた。運動した体には糖分が必要だ。いや、なんでも良い。休むのは楽しい・・・。その時小学校教師が「あれ? ヤバいかな」と言い出した。何だろうと思って小学校教師の自転車を見るとリアタイヤが変形しているではないか。よく見ればフロントもだ。タイヤを替えた方がいいんじゃないかという結論になった。が、大町市あたりまでいかなくてはマウンテンバイクのオンロードタイプのタイヤを在庫しているようなサイクルショップがありそうもない。とにかくそこまでもってくれよと願いながら再出発をした。 自転車を走らせながら考えていた。とりあえずの目的地である白馬は小学校教師が6年前まで勤務していた地だ。6年前の教え子たちはすでに高校3年生になっている。そのことを考えると自分達が歳を重ねたことを実感する。僕以外の二人は今月40歳になる。僕だって来年二月には40歳だ。運動不足の40歳がこんなツーリングをすること自体かなりチャレンジャーだ。 美麻村まで到着すると分岐点がある。白馬村へ行くか、大町市へ行くかだ。白馬の方が距離短いが遠回りにはなる、しかし仁科三湖を巡ることができる。大町市へ行くには峠がきつい。以前車で走った経験から言ってもその峠はかなりきつそうだ。とにかくきついのは嫌だ。さほど迷わず白馬へ抜けることにした。いま考えてみるとこれも正解だった。「峠」という地名の峠を超えると気持ち良い景色と下り坂があった。残雪の北アルプスと芝桜がきれいな駐車場に停車して写真を撮った。田植え前のたんぼに映る北アルプスはきれいだった。そして何よりうれしい平たんな道は車も少ない。今回のツーリングの最初の気持ち良い瞬間だった。 峠を超えて腹も減ったので、小学校教師が6年前に勤務していた学校のすぐ近くのそば屋に立ち寄り、定番のそばを喰うことにした。もちろん生ビールも注文した。 携帯電話に他の二人と同じく高校の同級生である友人から電話は入っていた。すぐにこちらから連絡すると、それは僕達に対するうれしい激励の電話であった。来年は僕達と一緒に行こうと誘った。 他の友人も皆、こんなツーリングをする僕達をうらやましく思っている。しかし、一緒に行くという勇気を持った友人はいない。それはあまりに過酷であることを知っているからだ。しかし、過酷ではあるが「楽しい」ということを知らないからだと思う。声を大にしてみんなに教えてあげたい。僕らのツーリングの最大の楽しみは・・・・いやその件は最後に書くことにしよう。 意外に量の多かった大ざるそばで腹いっぱいになりすぎたのか、あるいはそば屋さんでみた天気予報で2日目も晴れそうだということがわかったせいか、いきなりの佐野坂がきつかった。標高825mは40歳目前の僕らにとって未知の領域だった。昨年の富倉峠より標高は高いのだ。ここでも自転車を押して歩いた。歩いてもきつい・・・。二人は決して歩かない。たいしたもんだ。 しかし、この峠を超えればあとは穂高まで基本的には下っていくのだから・・・とがんばった。 実際、青木湖、中綱湖、木崎湖の湖畔を水面と同じ高さの道を走るのは気持ち良かった。 とはいえ、湖畔でも急な上り坂はあった。そこでは左腿に激痛が走る。どうもつったようだ。腿がつったのは一昨年の北竜湖の手前の上り坂以来、2度目の体験だ。もうだめか・・・と思ったが、よく揉みほぐすとなんとか大丈夫だった。左腿を気遣い、右足に力を入れると今度は右腿が危ない。ビシッビシッっと音がするような気がする。これ以上長い上り坂はほんとうに危険だったと思う。しかし幸いなことにその後しばらくは下る一方で、大町市街も基本的に緩い下り坂が続いていた。 そういえば、小学校教師のタイヤを交換しなくては・・・と思い出してサイクルショップを探しはじめた。一軒目は休みのようで扉が開かない。二軒目は割に大きい店だったが、ちょうど合うタイヤを在庫していない。三軒目も駄目。四軒目でようやく探し当てることができた。小学校教師と店のご主人がなにやら自転車専門用語で話をしている。僕にはよくわからない。そこでタイヤ交換の15分の間、休憩だ。いや〜休憩っていいなぁ。 店のご主人に道を聞き、大町市から穂高へ向けて再出発。下るだけのはずが途中何度か上り坂がある。何度も自転車を降りて歩く。腿がつってから急な登りと、長い坂は遠慮することにした。 穂高に入るまでは意外に長かった。松川村の大きいのが恨めしい。 イラストレーターが宿泊地の町営旅館「しゃくなげ荘」はここだと思うと地図で示してくれた場所に、それはなかった。しかし、もうすぐのはずだ。なんとなくそんな雰囲気がただよっていた。 「しゃくなげ荘」を見つけたときはうれしかった。自転車置き場完備の「しゃくなげ荘」の玄関には「歓迎 須坂市 小林様」と看板があった。今日はもう走らなくていいと思うとホッとした。 1日目の走行距離は75kmだった。 携帯電話でメールをチェックすると「激励」というタイトルで僕達のツーリングを励ますメールが先ほどの友人とは別の同級生から入っていた。彼もまた僕らのツーリングをうらやましく思っているが、勇気のない人たちの一人だ。 出発の前日、お隣の堀金村のベイシアにあるフットリフレという足裏マッサージのお店で僕達の足をほぐしてくれるという、これまた同級生のあたたかい提案があった。それはありがたい・・・と思っていたが、そこまでどうやって行こうか、もう自転車で行く元気なんか残っていないんだ・・・。とても失礼だが僕達はこれ以上動くことはできないので、と遠慮することにした。案の定、宿に着いてから時間が経過するほど疲れが出てくる。6時の夕食の時には大好きな生ビールを1杯飲みきることができないほどだった。僕より少しは元気の残っている二人より先に部屋に戻ることにした。部屋の窓が開いていたせいなのか、寒気がし、顔に火照りを感じた。風邪をひいている時のようだ。とりあえず布団に入った。しばらくすると二人が戻って来た。それまで数分の間、熟睡したようだった。フットリフレには行けないのでマッサージに来てもらった。結局今回も10時には三人とも深い眠りに入っていた。 ▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼ 前回よりは距離は短いが標高の高い峠を超えた割には2日目の朝は快調であった。といっても筋肉痛を抱えたまま自転車に乗らなくてはならない。尻が痛くてサドルに腰掛けるのには勇気が必要だった。 幸いにも最初は穂高温泉郷から穂高駅方面への長い下り坂からはじまった。帰路は国道19号を走ることにした。それが一番距離がないからだ。本当なら朝から雨降りで、トラックで迎えに来てもらうつもりだったのが、こうして晴れてしまったのだから走るしかない。 犀川沿いに北上して国道19号に合流するまでは爽快であった。のんびりした日曜の朝って感じだ。今回のツーリングの気持ち良い3番目のポイントだった。国道19号に入ると自転車を並走させることはできず、ひたすら小さなアップダウンを繰り返しながら黙々と走ることになった。 それでも基本的には穂高から長野まで標高差300mほどを下ってくることになる。川沿いの道を少し登っては下るという繰り返しだが、長い登りがないので比較的楽であった。これなら腿がつってしまうようなことはないだろう。昨年は帰路の方がどう考えても「きつい」コースだった。なにせ標高0mから600mまで登ることになるからだ。それに比べればかなり楽といってもよい。 このままなら昼過ぎには長野に到着かも・・・なんて甘い考えをしていた。大岡村の道の駅を過ぎ、珍しく僕が先頭を走っていた時、うしろから「STOP!!」と声がかかった気がした。うしろを振り返るとイラストレーターが僕を呼んでいるようだ。そして、小学校教師の姿が見えない。 僕の自転車のタイヤは28インチ、他の二人は26インチなので、下りは僕のほうが若干速い。とは言え見えなくなるほど差がつくはずもない。 小学校教師の姿が見えないのは異常なことだ。事故か? 一瞬いやな気がした。イラストレーターが僕の方を見ながら何やら携帯電話をかけている。僕の携帯が鳴っている。電話はイラストレーターからであった。小学校教師のタイヤがパンクしたらしい。昨日替えたタイヤが? そんなバカな・・・。 パンク修理の道具は誰も持っていない。サイクルショップまで押して歩くか、トラックで迎えに来てもらうか。今回のツーリングはここで終わりか・・・と思った。 電話の向こうでイラストレーターが言った。ちょうど自転車屋さんがあるからそこに寄る。そんなちょうど良い話があるのか・・・。よく見ると小学校教師と同じ姓氏の自動車屋さんがあった。日曜休日であったが、ちょうど人が居てくれた。その人は技術者ではないようで、わかる人を呼んでくれた。その人もちょうど会議かなにかに出かけるところだったようで、ネクタイとスーツ姿だった。「会議に行かなくちゃならなくて、忙しいんだけど・・・」と言いつつ、パンクを修理してくれた。 パンクしたその場所で直してもらえる人に出会うとは、なんて僕達は運がいいのかと思った。 そこで思いのほか時間が過ぎてしまったので、昼飯は信州新町の名物「ジンギスカン」ということになった。 前日、どこで昼飯を食べるか考えていた時、とても過酷なツーリングの最中にジンギスカンを食べる気にはならないだろうと予測していた。やっぱり「そば」のようなあっさりしたものでなければ無理だと思っていたが、おいしそうな匂いにつられたことと、思っていたより快調に走っていたことが重なったり、そして、パンクのおかげでちょうど12時に通りかかったことなどがあって、むさしやの「ジンギスカン」になったのだ。 これがまた意外においしかった。生ビールも格別だ。 しかし、ここで飲み過ぎたり、食べ過ぎたりすると後が恐いのでほどほどにしておいた。 このまま国道19号で帰るのは楽すぎるのではないか・・・という、客観的に考えれば「お前らアホか」と言いたくなるような議論になっていた。ちょうどここ信州新町から篠ノ井に抜ける山道がある。最後にすこし冒険しようか・・・と。僕はその坂がどの程度急なのかはあまり関係なかった。なぜなら、「急な坂道は歩く」という開き直りができるからなのだ。結局その坂は心臓破りの坂道であったが、二人は決してあるくことはなかった。僕は当然のことのように半分以上歩いた。歩いていてもきつい坂道だった。登りに1時間以上かかったろうか。が、その峠を超えた下りは10分とかからなかった。快適な気持ち良い4番目のポイントだったと思う。しかし、油断は禁物だ。快調に飛ばして下って来たが、突如不安に襲われた。カープをうまく曲がれない。ガードレールに吸い込まれて行きそうだ。少しずつブレーキをかけて一旦止まった。「どうした?」と二人が僕に聞く。「恐い」と答えると、「スピード出し過ぎだ、追い付けないほど出ている」と言われた。そのとおりだった。そこからは押さえ気味におりて来た。 山から下りたところは、篠ノ井といってもすぐそこに更埴のインターチェンジが見えるところだった。そこから川中島の小学校教師の家までは平たんだったが、昨日からの疲れを抱えた体には長くてきつい道のりであった。家の近くまできたので小学校教師を先頭にすることにした。道がよくわかっていることと、愛妻と今年2月に生まれたばかりの子どもが家の前で「いまか、いまか」と待っているような気がしたからだ。小学校教師は僕達の中で一番体力があって、急な坂道でも自転車に乗ったまま頑張っていたのだが、それは僕達にしかわからないことだ。彼の家族には到着した時に先頭を走っていることの方が、頑張ったことが分かりやすいと思ったのだ。過去二回とも僕は家に到着する時に先頭を走っていた。他の二人にそういう気遣いをしてもらっていたと思う。今回はそのお返しをすることができた。 午後3時半到着 走行距離65km ▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼ イラストレーターは川中島から自宅まで帰りも自転車で走った。彼は僕らより32km余計に走ったということになる。 前回のツーリングでは、もう、しばらく自転車を見たくもないと思うほどつらかった。しかし、今回は違った。1日目にきついコースをまわり、2日目を比較的楽にしたことが最大の理由だろうと思う。それは2日目は雨になりそうだ、だから1日目を白馬経由にしたということがあったからだ。 今回は言える。「来年はどこにしようか・・・。この秋でもいいよ。」 最後に勇気の出ない友人たちに声を大にして言います。 僕達のツーリングは過酷だけれどものすごく楽しいのです。その理由は、20年以上も前になってしまった僕らの青春を取り戻せることにあるのです。
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第1回(野沢温泉)
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第2回(鵜の浜温泉)